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”まちに出た、建築家たち。”ーNPO法人家づくりの会

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カテゴリ:十文字 豊( 44 )

久しぶりに訪ねたアーバス立川ビル

JR立川駅より多摩モノレールで北へ一駅、高松駅前に竣工して7年、我が事務所設計の最大規模の建物があります。
久しぶりに近くへ行った折に立ち寄ってみました。
この場所は当初から多摩地区の中核として位置づけられた新市街地で、向かいには水道局・東京電力等の建物が建ち並び、アーバスビルと同時期に、立川市役所・法務総合庁舎・東京地方裁判所等が近隣に移転新築され、さらに去年、一昨年とララポート立川・IKEAと大型商業施設がオープンし、まさに立川の新市街の中心地になりつつあります。
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敷地は東南の角地の3.000㎡、延べ床13.000㎡、地上8階建てRC造(免震構造)別棟(立体駐車棟60台)S造。
7年の歳月は、廻りの樹木も豊かに生茂り、建物もいっそう風格と落ち着きを増し、周囲に溶け込んできたと当初の想いが実現しつつあることを勝手に実感した次第です。
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広々としたエントランスホールに入って周囲を見渡し、竣工時と変わらないほど、綺麗に使われていることに嬉しくなりました。
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普段、住宅の設計が主の事務所が、この規模の建物を実現させるには、語り尽せないほどのプレッシャーや不安を抱え込み、酒の力を借りても眠れない日が幾晩もあったことを思い出しました。
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by npo-iezukurinokai | 2016-06-03 15:12 | 十文字 豊 | Comments(0)

コシ・ファン・トゥッテ

モーツァルトの最後のオペラ・ブッファとなった「コシ・ファン・トゥッテ」。
フランス革命前夜の専制的な貴族階級に対する庶民の知恵の勝利を描く「フィガロの結婚」、笑いと背中合わせに涙と悲しみがあり、悦楽と死の恐怖が同居している「ドン・ジョヴァンニ」。
だが、「コシ」は、貴族の専横に対する怒りも、地獄の恐怖もなく、南イタリアの碧青の空の下で、愉快で少し馬鹿げた笑いがくりひろげる、悦楽と自由と遊びを伴う筋立てで、したがって他のオペラではみられぬほどの音楽は明るい透明さと簡潔な統一性を持っています。
この三つのオペラの台本作者は、北イタリア生まれのロレツォ・ダ・ポンテで、モーツァルトのおかげで音楽史上に幸運にも永遠に名を止めることになったわけです。
その、「コジ」の筋はあまりにも無道徳性のため100年以上もの間、だれひとりこのあまりにも純粋な音楽の魅惑に近づくことができづ無視されてきたのです。

話は、二組の恋人たち。男女4人は、女の貞節を信じない老独身男の哲学者と世慣れした小間使いに思うがままに操られ、コシ・ファン・トゥッテ(女がみなそうするように)振る舞い、男はみんな同じ出来事であるあることを証明するために・・・・・・そこにいる・・・・・といったぐあいで・・・・・・ 
虚構のワナにはまって右往左往する男と女、真実の感情と偽りの感情とを、比類なきモーツァルトの音楽が、他のいかなる手段によっても到底不可能なほど明確に描き分けています。
たった一つの変化音によって、喜びのただ中にふと心をよぎる疑惑の影を描き、絶望が瞬時のうちに至福に変わる人の心のふしぎさを、ちょとした音で見事に表現する音楽の魅惑が、これほど素晴らしい姿で現れるのはモーツァルトといえどもそうめったにはないと思われます。
A・アインシュタインが指摘しているように、《オペラの大家ヴェルディの最晩年の「ファルスタアッフ」は、いわば人生の彼岸から、あわれな人間どものばか騒ぎを眺めている趣があるのだが、モーツァルトは決してそうではない。彼の音楽は、人間を客観化してその姿を描写するというには、あまりにもあたたかなものでありすぎた。・・・・・・・・・・・
それは心理描写などというものではなく、人間の素朴な姿が、彼の旋律の中に無比の天啓によってとらえられている。》と述べています。まさにモーツァルトの「コシ」の音楽をこれほどまでに的確に言い当てています。
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 私の愛聴盤です。『コシ』に限ればレーザーデスクでなく、目を閉じてベームのレコードを聴くのが至福の時です。
                                              十文字 豊/アルコーブ・U
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by npo-iezukurinokai | 2016-04-11 14:25 | 十文字 豊 | Comments(0)

『クララ・ハスキル、モーツァルト・コレクション』

ブログ担当の十文字です。
モーツァルトの曲の中で私が最もよく聴くのは、ピアノ・ソナタ、ピアノ・コンツェルト等のピアノ曲です。又、私流としては、ヴァイオリン・ソナタもピアノ曲の仲間に入れています。
今から40 年近く前に手に入れ、当時の針圧の重いカートリッジで、擦り切れるまで聞き込んだクララ・ハスキルのピアノ・ソナタ、ピアノ・コンツェルト、そしてヴァイオリンの貴公子グルュミオーとのデュオによる、ヴァイオリン・ソナタ等の何枚かのレコードは、CDの時代になり、他のレコードと同様埃をかぶったまま放置されていました。
1年ほど前から、CDよりレコードに出来るだけ戻るように心がけたことで、20数年以上部屋の片隅で眠っていたLPを取り出してはアナログの包み込むような臨場感のある音を愉しんでいます。
又、同時に事務所近くのデスクユニオンに立ち寄っては、掘り出し物を安価で手に入れる楽しみが増えました。
先達ても昼食の後、デスクユニオンに立ち寄ったところ、目に留まったレコードは、上記したハスキルのモーツァルトのピアノ・ソナタ、コンツェルト、ヴァイオリン・ソナタ等の8枚組のボックスセットです。
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それは、私の手元にあるバラバラで擦り減った、ㇵスキルのレコードと同じ演奏のものが、後年名盤として「クララ・ハスキル モーツァルト・コレクション」として新しくまとめて再プレスされてボックスになって発売されたものでした。
即手に入れ、その夜自宅で針をおろすと、これぞ、まさにハスキルのモーツァルトのピアノ曲が響き、それはいかにも自然で、自在であって、音に無理な力を加えたようなところがいささかもなく。だが、その自然な音が、その自然な姿のままで、心の奥深いところに迫ってくるのです。
久しく忘れていたハスキルのこの音、いったんこの音にとらえられたが最後、モーツァルトのピアノ曲はㇵスキル抜きでは考えられなくなります。
彼女の演奏はピアノが鳴っているのですが、ピアノという楽器の介在が感じられないようなㇵスキルの心そのものから伝わってきます。
まさに、音のひとつひとつが、もっとも純粋なかたちで彼女の内的世界の要素となっているのです。
親子ほど年の差のある若きグリュミオーとのデュオのヴァイオリン・ソナタも、ハスキルのピアノが、グリュミオーの溌剌とした伸びやかなヴァイオリンを彼女の内的世界に自然に引き入れ、聴き手ばかりではなく、演奏の相手まで染め上げ浸透性を備えることでハスキルのモーツァルトは他に比較できない最良の音楽として鳴り響くのです。
十文字 豊/アルコーブ・U

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by npo-iezukurinokai | 2016-02-18 13:52 | 十文字 豊 | Comments(0)

音楽は・敵・超えられる

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『音楽は・敵・超えられる』と題して、指揮者・ピアニストのダニエル・バレンボイムの年明け来日公演を前にしての彼のインタビュー記事が朝日の文化欄に大きく取り上げられています。
ここでバレンボイムは、「ワーグナーに限らず、大戦中、様々な政治的メッセージをまぶされてしまった不幸な芸術は、どの国にもある。そうした思惑から解放し、純粋に新しい耳で聴きなおす動きを若い世代に導いてもらいたい」・・・・・・・・・
「多くの国がいま、過去との向き合い方に関して問題を抱えている。多くの場合、原因は(愛国)と(国粋)を混同していること。・・・・・本物の自信と誇りは、他者との比較からは決して育ちません」と述べた後、アルゼンチン生まれのユダヤ人の彼が、16年前にエドワード・サイードとともに創設した、ウエスト・ディーバン・オーケストラは、イスラエルとパレスチナの若者で構成されています。
「敵である人の隣で、同じ曲を1日練習したとしましょう。終わるころには敵という感情はなくなっている。政治には不可能なことが、音楽では可能になるのです。」・・・・・
2001年イスラエルでの公演で、アンコールにワーグナーのトリスタンとイゾルデの前奏曲を演奏して波紋を呼んだ。「私はタブーに挑んだわけでも、タブーを打ち砕きたいと思ったわけでもない。ワーグナーを過剰に避けることも、ナチスが音楽を政治利用した歴史をおのずと継承することになってしまう。私にとって大切なのは、好きな音楽に好きなように感動するという、人間として当然の権利を守り抜くことなのです」と熱く語っています。
来日公演では、シュターツカペレ・ベルリンと、大曲ブルックナーの九つのシンホニーと、モーツァルトの後期ピアノ・コンツエルトの六曲を弾き振りするプログラムです。
73歳になったバレンボイム曰く「作曲家には四つの種類の人々がいます。面白くない作曲家。面白い作曲家。偉大な作曲家。そしてモーツァルト」と語り、次のように述べています。
「モーツァルトは誰にも比すことができない。全ての音が当たり前のようにそこにある。いつ演奏しても、すべてのフレーズが、その瞬間に生まれたかのように響く。自分のいるべき場所へと常に連れ戻してくれる存在です」と名ピアニストだからこそ言える真実だと私も同感です。

私にとって以前のバレンボイムのモーツァルトは、どこか見えないところで重厚な骨格が、後に来るベートヴェンを彷彿とさせてしまう思いが湧き上がり、名演奏とは解っていたのですがあまり好きになれなかったのです。しかし、このインタビューを読んでみて、70歳を過ぎたバレンボイムが、どんなモーツァルトを聴かしてくれるのか楽しみになってきました。
十文字 豊/アルコーブ・U

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by npo-iezukurinokai | 2015-12-17 13:38 | 十文字 豊 | Comments(0)

モーツァルトの「大ミサ曲 ハ短調 K.427(417a ) 」

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モーツァルトは35年の短い生涯の中でミサ曲をいくつも書いています。ただ、それは ザルツブルク時代で、折り合いの悪かったコロレド大司教の注文で、ミサ曲は45分を超えてはならないとの制約の中での作曲でした。

しかしながら、マンハイムへの旅の後かかれたミサ曲「戴冠ミサ曲 K.317」は、楽器編成もはるかに大規模で、ミサ曲という大きな形式のシンフォニー的な統一に関してはるかに大胆になり、教会音楽家としてのモーツァルトの創造が絶頂を極める作品に接近してきているのです。


やがて、25歳のモーツァルトはザルツブルクを去って、ウィーンに定住を決意し、大司教宮廷音楽家の地位を投げ捨て、フリーの音楽家としてウィーンでの自立した音楽活動を始めるのです。

ウィーンにおいては、もはや教会と教会音楽に関係する必要はなくなりました。一人の自由な芸術家であり、ソナタ・セレナーデ・ピアノコンチェルト及びオペラを書くのです。

さらにウィーンでの生活はモーツァルトに計り知れない恩恵をもたらします。

音楽愛好家として広く知られたスヴィーテン男爵を通して、バッハ・ヘンデルの音楽を知るという貴重な経験を持ったことです。

彼は、父レオポルトに手紙で「男爵の私邸では、ヘンデルとバッハだけしか演奏されません。今、バッハのフーガを収集しています。こういう巨匠たちの作品だけが現在の私の関心の的なのです。」と伝えています。

やがてモーツァルトはウィーンにおいて、新しいミサ曲の作曲を始めます。周知のように、彼とコンスタンツェとの結婚には父親のレオポルドと姉のナンネルも反対で、モーツァルトは何とか理解してもらおうと懸命で、彼女を妻としてザルツブルクに連れて行ったならば、此のミサ曲を同地で演奏し、〈キリエ〉のソプラノ独唱パートなどを歌わせ、父に彼女の音楽家としての素晴らしさを知ってもらうねらいがありました。

しかし、この大ミサ曲はなかなかでき上らず未完成のままの形で、ザルツブルクの聖ペーター教会で、コンスタンツェがソプラノ独唱を歌って演奏されました。

音楽自体大ミサ曲の名にふさわしく、クレドの後半とアニス・デイを欠いたにもかかわらず、1時間近くに及ぶ大曲です。実に内容は、充実した対位法の技法が十分に発揮され、バッハのフーガやヘンデルの作品からの影響は対位法の技法にばかり限ったことではなく、曲の作り方や音型にも、各パートにもバロック的な手法が見られます。


音楽史上最高のミサ曲は、バッハの『ロ短調ミサ曲』とベートーヴェンの『二長調ミサ曲・ミサソレムニス』であり、その間を繋ぐ唯一の並び称される作品はこの大ミサ曲です。

あのアルフレート・アインシュタインも言っています。

是非機会をつくって聴いてみてください、モーツァルトがより近づいてくるはずです。




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by npo-iezukurinokai | 2015-10-30 13:42 | 十文字豊 | Comments(0)

鴨居玲回顧展

本日、川口さんに代わって当番の十文字です。

7日に新国立競技場の有識者会議の結果をきいて、あきれかえるのと同時に憤りさえ覚えました。審査委員長を務めた安藤さんが、いっさいだんまりを決め込み欠席するとはこれこそ晩節を汚す事になります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今まで同様堂々と見解を公にすべきですが、時すでに遅しですね。

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気分を変えて、昨日は東京ステーションギャラリーで開催されている、没後30年を迎える鴨居玲の回顧展に女房と観てきました。
実は義父が洋画家で、鴨居玲とは同じ二紀会に所属していたことで、幾度か名前を耳にしていたのですが、実際に見るのは初めてでした。
いや、何年振りだろう、絵からこんなに衝撃を受けたのは。・・・

鴨居玲と同じころに亡くなった義父が、往年アトリエで私の想像を遥かに超える苦闘をキャンパスに向かってしていたことを、鴨居玲の絵を見たことで気付かされたように感じました。

『57年の生涯で、心身を削るように描いた油彩の代表作をはじめ、素描、遺品など約100点を一堂に展示しています。人間の内面を見つめ、自己の存在を問い続けた鴨居玲の作品は、今もなお見る者の心に強く訴えかけます。』・・・・・・・・・・・パンフレットより

東京駅と地の利も良いので。最近、衝撃や感動に薄れてしまったと感じている方には是非ともお薦めします。
十文字 豊/アルコーブ・U



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by npo-iezukurinokai | 2015-07-09 14:37 | 十文字豊 | Comments(0)

万能性と超国民性の作曲家 モーツァルト

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前回のブログで取り上げた、アインシュタイン著『モーツァルトその人間と作品』の中の、モーツァルトの音楽の万能性と超国民的な作曲家であるという、まさにアンシュタインの見立てが正当で卓越した見解かを文章を追って見てみます。

 モーツァルトは父親である、レ―オポルトにあてて書い手紙に中で、自分は「作曲のほとんどあらゆる種類と様式を」すなわちイタリア風のものも、フランス風のものも、ドイツ風のものも、「受け入れ、模倣することができる」・・・・・しかしこのことは、われわれがここで考えている万能性を裏付けるのではなく、単に彼の超国民性、すなわち、彼がイタリアの作曲家でもなく、ドイツの作曲家でもなく、いわんやフランスの作曲家でもなく、全ての国民的境界と制約とをはるかに超越している、ほかならぬモーツァルトであるという、音楽史における彼の異常な地位を裏づけるにすぎないと言っている、さらにアンシュタインは続ける。
イタリアないしドイツ音楽が彼の音楽的本質を規定するのではなく、彼がイタリア的ないしドイツ的であるのは、外面的な形式のなかにおいてにすぎない、・・・・・彼がイタリアないしドイツ音楽の本質を規定するのである。

 声楽作曲家としてのモーツァルトと器楽作曲家としてのモーツァルトといずれが偉大であったかなどと問いかけることが無益なことであり、さまざまな分野においてそれぞれ完全なものは、比較を許さないからであると述べている。
ここでアンシュタインは、モーツァルトの万能性と、他の偉大な楽匠たちとの比較を始める。
おそらくモーツァルトに最も近いのは、ヘンデルであろう、しかしすぐに疑念が起こる。
ヘンデルのいっさいは統一的な、力強い一つの源泉から、すなわちイタリアの声楽様式、記念碑的アリアのベルカントから流れ出ているのではなかろうかと書き、彼の同時代人バッハは万能であったろうかと問いかける。
なるほどバッハは器楽と声楽の分野においてあらゆるすみずみまで、教会的なものも世俗的なものも、さらに、彼の世俗カンタータをオペラとみなすとすれば、オペラまでも手を付けずにはおかなかった。しかしこれらのいっさいも実際には一本の根から、すなわち器楽的なものから、いっそう厳密にいえば、オルガンの多声音楽から生長しているのであり、この多声音楽がバッハの声楽の主題をも規定しているのであると。
ハイドンとべートーヴェンについては、ハイドンは弦楽四重奏曲とオーケストラの分野で、ベートーヴェンは何と言ってもピアノの分野で、最も自己を語っている。二人とも声楽曲もリートも作曲しているが、その道の大家ではない。
こうしてわれわれは、未完成シンフォニ-と数百曲の完璧なリートの作曲家シューベルトに思い及ぶことになるとかく。
シューベルトはモーツァルト比較しうる唯一の作曲家とも思われる。しかし彼もオペラを書いてはいるものの劇的、舞台的な要素に関する眼識が与えられていなかった。
モーツァルトが声楽と器楽、ミサ曲およびオペラ、四重奏曲およびコンチェルトを思いのままに処理する際の夢遊病者的な確実さと優美さを考慮してみるならば、モーツァルトの万能音楽家としての独自性という現象に対する感嘆はかぎりなく増大するのであると語る。

 モーツァルトとベートーヴェンはともにピアニストとして教育され、作曲家としての楽器はピアノでした。しかしモーツァルトはまもなくピアノから全く自由に考えるようになり、カンタービレ的性格が、まず声楽にとって、ついでまた器楽にとっても、彼の法則となる。
モーツァルトは7歳か8歳で最初の旅行に連れ出され、世界の中に投げ出されたので、あらゆる音楽的影響に身をゆだね、彼が打ち負かされて、天才児が通例なるように、16歳で才能をうしなってしまうことにならなかったのは、驚嘆に値する。彼の個性、彼の抵抗力は、自分に相応しいものだけを自分のものにするに十分なほど強かったのである。
彼はいかなる国民にも所属せず・・・・・あらゆる国民に所属するのである。
彼は普遍的である。彼は国民的な音楽家でもなく、国際的な音楽家でもない。
彼は超国民的なのである。・・・・・このアンシュタインの見解に全く賛同です。
               ブラボー・・・・・モーツァルト
十文字 豊/アルコーブ・U

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by npo-iezukurinokai | 2015-06-06 13:31 | 十文字豊 | Comments(0)

『モーツァルトその人間と作品』

ブログ担当の十文字です。
私がライフワークにしているモーツァルトに関する文献等は、没後二百数十年の間に世界中で数えきれないほど出版されています。
中でも、モーツァルトが世去ったばかりのときに、エスプリとメランコリーの傑作「フィガロの結婚」に通うこと百夜では納まらず、「ドン・ジョヴァンニ」のためなら百里の道も歩いて行くという情熱を持っていた、スタンダールによって書かれた(モーツァルト)は、誰よりも早く不朽の名声を予言しました。

その後、スタンダール同様モーツァルトに熱愛していたキルケゴールが、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」をベースに、欺かれる者は欺かれないものより賢いとエルヴィラを讃え、男女の関係性を哲学的に捉えた〈誘惑者の日記〉を書きました。

そして、今から70年前アルフレード・アインシュタインが、(モーツァルトその人間と作品)を出版し、今日ではモーツァルトと結びついてあまねくアンシュタインの名も世界にとどろいています。〈物理学者のアルバート・アンシュタインは一つ違いの従兄です。〉
もちろんアンシュタインの最大の業績は、ケッヒェル番号の根本的な改訂の仕事で、その成果が全作品目録第三版となり、モーツァルトの研究と理解に全く不可欠な多大な貢献をし、さらにそれを超脱した立場での、モーツァルトの人間と作品についてのあまたの卓見です。
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今日に至るまで、モーツァルトに関するいっさいの発言はつねにアンシュタインの言説を取り上げなくてはならないほどの「モーツァルトその人間と作品」は、名著中の名著といえます。
アンシュタインは、モーツァルトについて骨の折れる努力を自分が引き受け、聴衆に気づかれないように隠して、彼らを楽しませる、ということが彼の作曲家としての叡智と言っていますが、そのことは同じに、アンシュタインの学者の叡智と美徳にも当たり、著者の学識、歴史的感覚、論証の労作等を背後に隠しつつ、鋭く、しかもユーモアを持って執筆を進める態度は芸術的で、数小節についての感激を語るときの真摯さと率直さは、必ず読者をモーツァルトに感じていた感動の《或るもの》を、いっそう混じりけのない姿で、いっそう確固たる《或るもの》がモーツァルトの本質としてあらわれてくることに気づかされ、感動するのです。


十文字 豊/アルコーブ・U


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by npo-iezukurinokai | 2015-04-14 12:03 | 十文字豊 | Comments(0)

ツーバイフォーメイカー住宅の最近状況

本年2回目の当番の十文字です。

つい最近、建築条件付きの3区画の土地をまとめて購入した知人からの相談があり、設計・施工は三井ホームのツーバイフォーでの建築と決まっているが、プランのアドバイスだけでもお願いできないか。
当然やんわりと断りをしたのですが、早々に三井ホームの資料を持って訪ねてきました。
ここ20年近くハウスメイカーのカタログ等をまともに見ることもしなかった私には、最近のメイカー住宅の建て主を引き付けるであろう、豪華なカタログのキャッチコピーが、次々と目に飛び込んできました。

「例えば35帖以上の大空間、天井までの大開口、南面前面のオーバーハングバルコニー。かつてない、感動の空間をGウォール構法が可能にします。」

「壁倍率10倍相当の強度で、フロア全体を完全自由化するGウォール構法の技術。」
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「高強度を誇る独自の門型ラーメン構法で、間口の全面開口を実現するGフレーム構法。」
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等、挙げ出したらきりがないほどです。カタログにはそれらのことが、ビジュアルにカラーで表現されています。

家づくりの会発足当初には、ここまで住宅産業が大資本をバックに肥大化し技術的にも進化するとは考えにくかったのですが。参考にカタログのほんの一部を載せてみます。
尤も、若い理事の皆さんはそんなことは当然と認識しているのかも。

何れにしても、住宅作家受難時代は益々深まりそうですね。


十文字 豊/アルコーブ・U
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by npo-iezukurinokai | 2015-02-23 13:25 | アルコーブ・U | Comments(0)

新春の聴き始めのレコード

明けましておめでとうございます。
        本年も家づくりの会を宜しくお願い致します。

2015年最初の担当の十文字です。
例年同様年末は早めに大掃除を済ませ、なんとなく浮き浮きと酒の肴を求めて買い出しに。そのつまみで大晦日は早めに晩酌をはじめ、締めは蕎麦と決まっています。
ちょっと酔ったところでフルトヴェングラー指揮の第九シンフォニーを、何時ものCDでなくモノラルレコードの方で堪能しました。

元旦は、御屠蘇をいただき関東風の雑煮で腹を整え、新春の聴き始めのレコードをセレクトしました。
モーツァルトのセレナード第10番『グランド・パルティータ』 変ロ長調 K361
別名、13管楽器のためのセレナード 
ウィーン管楽合奏団(ウィーン・フィルハーモニーのメンバーによる)
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この曲は7楽章からなる、史上稀に見る雄大なスケールの他に並ぶもののない管楽器の頂点となる最高の作品と言えます。
普通この曲は、(13管楽器のための)と呼ばれ、オーボエ2、クラリネット2、バセット・ホルン2、ファゴット2、ホルン4で、コントラ・ファゴットの代わりに、コントラバスが使われています。
全体にわたってオーボエとクラリネットが中心で、他の管楽器との組み合わせによって、多彩な音色と美しい響きが曲のいたるところに見られる音楽の陰影の深さと言い、やはりモーツァルトにしか書けない傑作です。
映画アマデウスの中で、サリエリがこの曲の3楽章のオーボエ、クラリネット、そしてバセット・ホルンによって引き継がれてうたわれる旋律の美しさを聴いて、愕然としつつ嫉妬心にかられるところは、音楽を担当したネビル・マリナーの選曲の素晴らしさです。

高名なモーツァルトの研究者アンシュタインは、この楽章について「それは、恋する若者の高鳴る胸から、あこがれとなげきと愛とが息吹きのように喘ぎ出る、あの星空の下のロミオの情景である」と語ります。

機会が有れば是非とも聴いてみてください。

十文字 豊/アルコーブ・U

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by npo-iezukurinokai | 2015-01-05 12:29 | アルコーブ・U | Comments(0)