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”まちに出た、建築家たち。”ーNPO法人家づくりの会

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上原ひろみ

上原ひろみ/アンソニー・ジャクソン/サイモン・フィリップス、
日本ツアー ライブに行ってきました。
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(ライブは撮影禁止なので公演前の状況)
ライブといえども、会場は東京国際フォーラムでは一番大きな大ホール
にあたる「ホールA」となります。ここが満席になるジャズミュージシャン
は当人くらいではないでしょうか。

満席ライブ終了後の1階席はほぼ総立ちだったのでは?
今年は残念ながら2階席でしたがそれでも前から4列目のSS席。
この大ホールでもSS席と謳って良いものかと…

ちょっと残念ではありましたが、年々ファンが増えていることが窺えます。
本当は手頃なライブハウスでの演奏を聴けたら最高ですがその夢は叶
いそうもありません。


アンコールが終了し、メンバーが退場してしばらく経ちますが未だに拍手
は鳴り止まず、皆さんなかなか帰ろうとしません。
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(アンコール終了後10分は経過していたと思います)

昔は再アンコールもありましたが流石に最近は無いようです。
もう全力疾走ですね。

日本ツアーの最終日とあってか、専属のピアノ調律師である小沼則仁さんを車
いすから担ぎ上げながら敬意を表するという、演奏さながらのシーンもありました。
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(この写真はオフィシャルブログより拝借)

上原ひろみは媒体では技巧や激しさという、とりあげやすい部分ばかりがクロー
ズアップされ、そのような先入観をもつ方が多いように感じます。しかし、これほど
までにピアノを情緒的に奏でるピアニストはそうそう現れないと思います。

多くのピアニストの演奏を聴いていますが、実力ひいては表現力の豊かさは、
既に世界一と言っても過言ではないと感じます。

今日の『place to be』も名演で感動的でした。
今後もいっそう歳を重ねてゆき演奏がどう変わっていくのかも楽しみにしています。
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↑やはり総立ちでしたね(これもオフィシャルブログ写真より)


(杉浦 充/充総合計画)
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by npo-iezukurinokai | 2012-12-21 18:30 | 杉浦 充 | Comments(0)

”トロ”ティッシュリング

つい先日、以前全面リノベーションをおこないました建物について取材
依頼があり、取材に立ち会うことになりました。

取材終了後に美味しい珈琲を淹れていただき、しばらく昔話に花を咲か
せていたのですが、そのテーブルの傍らに無造作に置かれていたティ
ッシュを何気なく拝借すると、金属製の円形リングが目にとまりました。
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ティッシュをとる行為はいつもと何も変わらない自然な動作であり、あま
りにもさり気なく置かれたリングには、うっかり気付かずにやり過ごして
いたかもしれません。

衛生的には使用場所は限られるかもしれませんが、この究極なまでに
シンプルな造形には、まとめられたティッシュを押さえる重しの役割と一
枚を排出して次のティッシュをうまい具合に残す機能という役割が見事
にまとまられています。 素晴らしいデザインではありませんか。

これはMoMAショップに行ったときに事務所用にでも買おうと思いました。
(アマゾンや楽天で扱うようになっていました)


そして今日の出来事です。なぜか事務所に「MoMA」のロゴ入りのダン
ボールが届きました。
「あれっ何か購入したっけか?パートナーのものかも?」

しかし、宛先は当方宛で、送付人は先日取材したお施主さんではありま
せんか。早速開封したところ、中身はなんと銀色の輪っかでした。
大変嬉しいサプライズに感謝です!

早速開封し、打ち合わせテーブルに設置してみました。
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一般的なボックスタイプの場合は、枚数が少なくなってくると自重と箱の
口の摩擦抵抗とのバランスが崩れ、手際よく瞬間的に引っ張り出さない
と箱ごと宙を舞ってしまうという経験があるかと思いますが、こちらは最後
の方まで大丈夫です。

造形的には極めて単純ですが、その形状とは裏腹に、この発想はそうでき
るものではありません。 ものを生みだす際の考え方のヒントを教えられます。

たかがティッシュですが、実はこんなに美しいものを箱に入れてしまうのは
なんとももったいなくも感じませんか。


(杉浦 充/充総合計画)
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by npo-iezukurinokai | 2012-12-19 22:36 | 杉浦 充 | Comments(0)

沢田マンション

以前高知に出張した際に、束の間でしたが念願の「沢田マンション」に足を運ぶことができました。
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戦艦や要塞のようにも見えるこのマンションは建築の専門知識のない沢田ご夫妻が、100世帯のマンションを自力で造ることを試みた共同住宅兼自邸であり、正に人生そのもののコンクリートの「塊」といえます。
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自力での建設にあたって全国から8年の歳月をかけてかき集められた発動機が無造作に屋外にいくつも置かれており、入り口付近には「沢田マンション建設のきっかけとなった発動機」と題した掲示文とともに、年季の入ったヤンマーディーゼルの発動機が展示されていました。

始まりは1971年ということは、当方と同じ歳を重ねてきたことになります。

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その歳月の生々しいリアリティを実際に見せつけられ、しばし鳥肌の立つ思いをもちました。

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この写真はマンションの顔ともなっている、この建物の成長の生命線であろう自作のゴンドラです。1階から屋上まで資材等を荷揚げが可能ですね。

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1階乗降部には長椅子が置かれ、この長方形の広い床ごとリフトされます。ゴンドラの昇降スイッチは、工事中の現場にある仮設リフトのスイッチそのもので、自身の現場監督時代を思いおこし、ある意味懐かしかったです。

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こちらは最上部にある自作のクレーンで、左は自家製ゴンドラ頂上部となります。ゴンドラ脇の階段を登ると屋上に出ますが、なんとそこには畑が広がります。自給自足まで目指したのでしょうね。

途中階には工房もあり、日常生活の全てがこの建物内で済むような勢いです。言わば小国家や一つの村そのものようにも思えました。

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共用廊下は広くとられ、物干しスペースを兼用しているようです。玄関ともなる入り口は、住人の好みで好き勝ってに創作されたものが多く見られました。(なかにはコールテン鋼のものまでありました)

南面にあるスロープは車も登ってこられるような広さをもちます。北側にも続き、屋上の自邸まで車に乗ったまま登坂できてしまいます。

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裏側にある北側回廊。こちら側にまでも車が入ってこられます。深い庇のため、暗さに配慮してか床には開口が設けられていました。


法の整備によってマニュアル化された現代ではあり得ないものとなってしまったある意味大変貴重な代物ですね。確認申請も構造計算もなんのそのです。

思い立った沢田さんの感覚と直に体験した多くの失敗を重ねた経験によって造られ続け、今も約70世帯の約100人が生活している現役建物であります。

行政上はただの違法建築物となってしまいますが、歴史上は昭和の遺産と言っても過言ではありません。この建物が遠い将来には、文化財として扱われるのか、ただ単に取り壊されてしまうのか…

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採光可能な、むき出しの異形鉄筋に白いペイントがなされているままの傾斜(車)路。上部の列柱は、ビルダーの更なる上階への建築の意志を感じました。

何もかも揃っていて、物を買うことで済ませてしまう至便性に富む現代。その反面、生き甲斐のもてないレールの敷かれたような人生を歩む現代人。家も買う時代。

ますます、生きる意義を考えねばならない時代です。このような建築や空間に触れることで、身体感覚をとり戻すこと。これは今の若い人達にも体感してほしいと感じてしまいました。


(杉浦 充/充総合計画)
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by npo-iezukurinokai | 2012-12-19 01:54 | 杉浦 充 | Comments(0)

ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ

生涯を通じてベートーヴェンは135曲の作品を残した。
作品には三つの柱があり、9曲の交響曲、16の弦楽四重奏曲、32曲のピアノ・ソナタである。
前にも書いたことだが、ベートーヴェンの音楽には三つの段階がある。バッハ・ハイドン・モーツァルトなどからの影響から始まった初期。やがて、自己の作風を確立し確固たる作曲家としての道を歩み出した中期。そしてさらに外よりは内面に向かって眼を向け、中期の挑戦的で雄弁なスタイルから脱皮し、瞑想的で超絶的かつ神秘的な様式への転換が実現した後期。この三つの時期相互には密接な関係があり、しかもそれぞれが異なったスタイルに分かれる。ところが、その違いの元においては共通するものがある。
結果的には、全集としてかかれた交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタは、初期・中期・後期と聴き進んでいくと、常に音楽が一つの方向へ向かっていることに気づかされる。
それは拡大と成熟を経た後に深まりと純化、さらに静寂へと向かっていく。
モーツァルトの場合には音楽における天才が、人間としての彼をはるかに超えてしまったところに奇跡が生まれた。
ベートーヴェンは人間と音楽家が溶解不能なまで一体化し、自己との絶えざる葛藤が、精神的かつ根本的な信念と自信につながり、善と美と自由と高潔な人間性のために理想を貫き、戦おうと呼びかけているかのように聴こえてくる。

後期の最後の3曲のピアノ・ソナタ、第30番ホ長調 作品109、第31番変イ長調 作品110、第32番ハ短調 作品111を、数年前に惜しまれながら引退した名ピアニストのアルフレード・ブレンデルが連続演奏する時に言ったことだが、「30番のソナタは、天使にはさまれた悪魔。31番のソナタは、一度死に近づいたベートーヴェンが再び健康を取り戻した、その経験をそのまま曲にした、まさに人生と作品がこれほどまでに密接であることの直接な関係。2楽章からなる最後の32番のソナタは、テーゼとアンチテーゼで現実の世界と神秘の世界。俗っぽくておもしろい部分と崇高で厳粛なものとの対立、溝・・・・・ベートーヴェンの結びとしての最後の言葉なのです。」と静かに語りやがて演奏が始まった。

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●ピアノ・ソナタ全集 ウィルヘルム・バックハウス(R:SL1157~66)
モノーラル時代の全集から60年代に入ってステレオ演奏として2度目の再録。但し“ハンマークラヴィーラ”だけは、高齢のためレコーディングされず、従ってモノーラルの疑似ステレオ。吉田秀和氏の言うように、20世紀レコード芸術の記念碑的全集。私のソナタを聴く時の基準となる演奏です。
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by npo-iezukurinokai | 2012-12-14 00:00 | 十文字 豊 | Comments(0)

モーツァルト ドン・ジョヴァンニ K527

後期オペラの不朽の名作フィガロの結婚、ドン・ジョヴァンニ、コジ・ファン・トゥッテ、魔笛とこれぞモーツァルト最晩年の傑作揃いの中からむりをおして、ドン・ジョヴァンニを選ぶことにした。
このオペラは1787年の秋に作曲された。前年にフィガロの結婚がプラハで上演され街中が沸きたつほど大成功をおさめ、オペラの興行主から新作を委嘱され書き上げたのがこのオペラである。
台本はフィガロ、コジと同様、ロレンツォ・ダ・ポンテによる。ドン・ジョヴァンニとは、スペインの好色貴族ドン・ファンのイタリアの呼称である。

ドン・ジョヴァンニの豪胆不敵で世間の掟を頭から無視し、勝手気ままに勇躍する騎士の断末魔を予感させるような不気味でデモーニッシュな実に非情の正確さと厳しさをもって一歩一歩たたみこんでくる序曲ではじまり、第1幕・第2幕3時間におよぶ「生(性)と死」のオペラが幕を空ける。
なかみは見てのお楽しみということで、上記にあげたオペラはどれをとっても傑作であり人類の宝といえる作品である。
オペラは映像と同時に全曲をとおして鑑賞することが大切で、もちろん劇場へ行くのがベストですが最近は手ごろな値段で、DVDで発売されている。
 

ここでドイツの叙情詩人メーリケが51歳のときに長年傾倒してきたモーツァルトを主人公にして書いた小説「旅の日のモーツァルト」を紹介しておく。
前年フィガロが大成功を収めたプラハへ、今度はドン・ジョヴァンニの初演のために馬車で向かうモーツァルト夫妻は、ある伯爵一家と近づきになる。
モーツァルトの音楽に賞賛と敬意捧げる一家の人々に囲まれて、モーツァルトは幼い日の思い出、創作の逸話を語る。
芸術をなかだちとして心に通い合う人間の共感、精神の微妙な機微を詩人メーリケは美しい小説にかきあげている。


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全てレイザーデスクです、おそらく今はDVDになっていると思う。

フルトヴェングラーの亡くなる2か月前の貴重な映像が含まれた名盤です。(1954年10月)

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ロリン・マゼール指揮 ジョセフ・ロージー監督がパラディオのロトンダで映像化したドン・ジョヴァンニです。

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フレンツ・フリッチャイ指揮のこれも名演の誉れ高い名盤です。フリッチァイ亡くなる2
年前の貴重な映像です。

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by npo-iezukurinokai | 2012-12-13 00:00 | 十文字 豊 | Comments(0)

バッハのマタイパッション

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンというような大音楽家が、かきのこしていった傑作がなければ、これほどまでに音楽が好きになり聴き続けることはできなかたのではと想ったりする。
そこでこの3人の作曲家の中で私の大好きな一曲を無理やり選んでみることにする。

バッハのマタイ受難曲(パッション)BWV244

圧倒的な数と傑作ぞろいの作品の中から一つ選ぶことは大バッハに申し訳ないとおもい、
基準を設定することにした。
『キリスト教の生んだ音楽における最高の芸術』
おそらくこれならばバッハもうなずいてくれると考える。

この曲は新約聖書のマタイ伝二六章と二七章の全文をルターがドイツ語に訳したものを土台に、ピカンダーという人がかいた歌詞による。
「シオンの娘たちよ、わが嘆くを助けよ」という合唱ではじまり「われら涙もて蹲る」という大合唱で終る約3時間40分の大曲。

イエスと12人の使徒との最後の晩餐からユダの裏切りによってゴルゴタの丘で十字架にかけられたイエス、やがて十字架から降ろされ墓に入れられる。使徒たちはイエスのいった3日後の復活を信じ祈るところで終曲が流れ出す。
この哀傷極まりない旋律が純粋な音だけの曲の与えるあの清純な響きと合唱が加わり追いすがるように絶叫する。
表現の力強さは、音楽の世界でも例のない美しさと感動を聴く者に与えてくれる。

私はクリスチャンというわけではないが、このマタイを聴いていて2000年前のキリストを見守る群衆の一人になったような名状しがたい感動に襲われたことがある。

推薦盤  オットー・クレンペェラ-指揮
     フィルハ-モニア管弦楽団 (1960年録音)
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     カール・リヒター指揮
     ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1958年・1969年・1979年と3回の録音がある)
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     ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
     イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(1988年古楽器での録音) 
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by npo-iezukurinokai | 2012-12-12 00:00 | 十文字 豊 | Comments(0)

ハイドンのシンフォニー

モーツァルト・ベートーヴェンになれた私の耳にはどうしてもハイドンの音楽には、陰影が乏しくシンプルすぎて物足らない部分を感じていた。
昨日書いたように60歳を過ぎてから、ハイドンが晩年にかいた交響曲・弦楽三重奏曲・四重奏曲等が実に心地良く聴こえてくることに気づかされた。
それはおそらく、曲のすべてたが着実で、論理的に一貫し、作品の統一と安定、表現の純粋と真実が達成されていて、みせかけの悲しみや厳粛さなど伴わず、むしろ明るく活発な機知とユーモアがあり実に誠実な音楽だと気付いたからだと想う。

ハイドン以降古典派音楽の主流になる交響曲・弦楽四重奏曲は、ハイドンによって確立され、27歳ではじめて交響曲をかき、50歳に近くなってソナタ形式の展開での主題処理の手法で曲を発表し、そのスタイルはモーツァルト・ベートーヴェンに継承される。
晩年には(1791年~95年)さらに12曲のシンフォニ-を作曲し、生涯に104曲の交響曲を残した。
所謂ザロモン交響曲といわれる後期のシンフォニー第93番~第104番までの12曲で、中でも第100番(軍隊)、第101番(時計)、第102番、第104番(ロンドン)は名曲である。
モーツァルト(1756年~1791年)は、20代でハイドン(1732年~1809年)から多大な影響うけ弦楽4重奏曲・交響曲と次々と名曲を世に出し、35歳の若さで亡くなった。
このザロモンの時期(モーツァルトが亡くなった後)ハイドンはモーツァルトから逆に影響をうけながら、生涯の傑作をかきあげた。

1曲を選ぶなら第102番の交響曲、全曲をとおして円熟した手法が一分の隙もなく示されている名曲。二楽章のアダージョが耳をとおして私をハイドンに近付けてくれた何とも言い難い素敵な楽章だ。

推薦盤  オットー・クレンペェラ-指揮    ハイドンシンフォニー
     フィルハーモニア管弦楽団             
                            NO 88・92・95・98
                            NO100・101・102・104
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レナード・バンステェイン指揮    ハイドンシンフォニー
     ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
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                          NO98・99・100・101・102
                          NO103・104
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by npo-iezukurinokai | 2012-12-11 13:49 | 十文字 豊 | Comments(0)

私の大好きな音楽

今週ブログ担当の十文字です。

建築の話は他のみんなにお任せして私の大好きな音楽の話をします。

『建築、彫刻、絵画はもとより文学、詩、哲学のどれをとってみても、過去二世紀、つまり十八、十九世紀の間に頂点が究められたとはいえないのであって、たとえ、この二世紀にどんな立派な作品が作られようと、やはり過去のほうが、現代の美的規範ではかっても、なお、とうてい凌駕できない第一流の作品の力で、私たちを支配しつづけている。ところが、音楽だけは、逆に、この二世紀に、過去の業績をはるかにしのぐ高みに到達した。
音楽の達した高い地位と、他の芸術が達したいくぶん控え目な地位とを比較すれば、われわれは、音楽がたしかに近代の最も代表的な芸術であると断言して差支えない。』と百年前に高名な音楽学者のライヒテントリットが述べている。
百年後の今、事情は変わってきているが、クラシック音楽に於いてはバロック音楽の興盛から大バッハの出現によって古典派、ロマン派そして二十世紀初頭のシェーンベルクまでのおよそ二百年間に集約している。
その間キラ星のような天才たちの書きのこした作品を、世界中の音楽好きの人々が楽しんでいるわけで、中でもバッハ・モーツァルト・ベートーヴェンの3人は音楽史上奇跡的な巨星であり、私も半世紀以上聴いてきた時間の中で、おそらく半分の時間はこの3人の曲に集中していた。
還暦を過ぎたころからこの傾向に変化が生まれ、もう一人ハイドンが加わってきた。
そこで私の好きな曲として明日はハイドンのシンフォニ-について書きます。
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by npo-iezukurinokai | 2012-12-10 17:03 | 十文字 豊 | Comments(0)

ゆったりするための緻密な配慮 -- バス通りの家 --

ゆったりした空間をつくるためには、広さの確保だけではなく、高さ、奥行、密度、視線の抜け、開放感、静かさ、安心感、と様々な要素が加味されることが必要です。
バス通りの家では、「暖炉を据えた広々としたリビング・ダイニング」という施主様の最大の要望に応えるため、それらのことを踏まえています。
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2階のリビング・ダイニングでは、天井に3階の床梁を露出させたリビング、吹抜で天井の高い暖炉コーナー、そこからステップを2段上がったダイニングと、表情の異なる空間をつなげています。このことで空間に実際の面積以上の奥行と密度感が生まれ、「広さ」を視覚化しています。
また、当然、天井は高い方がのびやかなのですが、高さ制限の厳しい地域にあったので、部分部分で天井高さを最低限にして、全体の高さを抑える必要がありました。実際、ダイニングのいちばん天井の低い部分は、天井高2mを切っています。しかし、ダイニングから吹抜と3階子供部屋まで傾斜天井をつなげることで、意識をそちらに向けているので圧迫感はありません。
天井の高さは2mから4.3mにまで変化、床の2段のステップも相まって、むしろダイナミックな景色をつくり出しています。
さらに、壁と天井を白っぽい左官で一体に仕上げ、天井のラインを曖昧にしたことで、天井面が意識されず、上方への空間の認識が膨張して、のびやかになります。
また、床までの窓は、床面での視界を広げ、「広さ」を演出しています。
緻密な配慮の積み重ねで、ゆったりした空間を実現させました。

(写真左:ダイニング00)リビングから暖炉コーナーとダイニングを見る.
(写真右:リビング15)ダイニングから吹抜を見る.奥はリビング、上階は子供室
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by npo-iezukurinokai | 2012-12-07 10:00 | 白崎 泰弘 | Comments(0)

ゆったり構えた外観デザインを -- バス通りの家 --

住宅にゆったりとした空間をつくるには、それに見合う物理的な面積と、心理的な開放感が必要です。その他、心理的には安心感と静けさも求められます。つまり、外から邪魔されない自分だけの空間として''切り取られて''いること。せっかくの広い部屋も、外部の人目や車の音が気になるようでは、そのゆったり感を満喫することはできません。
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バス通りの家は、西側に交通量の多いバス通り、南側に公園があり、北側と東側は隣家が差し迫った位置に建てられています。その中にあって、先ほど述べたような''開放的''で''切り取られた''空間をつくるための工夫を施しています。まず、西側のバス通りに対しては、壁面を強調した閉鎖的なつくりとして、通行人の視線を遮り、その西側に水廻りや階段を配置することで、車の騒音を緩和し、室内の静けさを保ちました。一方、南側に対しては、人目を気にせず公園を見渡せるよう、2階に開放的なリビングをつくりました。カーポートの壁が建物をカバーする関係なので、下から2階を覗き込まれる心配もありません。そして北側・東側に対しては、隣家の窓の位置を確認し、窓が向かい合わせにならないよう配慮しています。

もう一つ、ゆったり感を実感するには、家の外観の印象が大らかであることが必要です。見た目に小さい家では、その「小さい」という先入観にとらわれてしまうからです。
バス通りの家は、敷地が狭小のうえ、面積の規制が厳しいので、家の面積自体は大きくできません。それでも家を大らかに印象づけるため、先ほど述べた西側の閉鎖的なつくりが一役買っています。その''ゆったり構えた''外観を、お隣さんの外観と見比べてください。同じ大きさの敷地なんです。
(つづく)

(写真上)着工前.隣地の建物の様子.
(写真下)「バス通りの家」完成.
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白崎泰弘/シーズ・アーキスタディオ   (NPO法人家づくりの会所属)
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by npo-iezukurinokai | 2012-12-06 11:06 | 白崎 泰弘 | Comments(0)