ブログトップ

”まちに出た、建築家たち。”ーNPO法人家づくりの会

iezukuri1.exblog.jp

タグ:音楽 ( 8 ) タグの人気記事

コシ・ファン・トゥッテ

モーツァルトの最後のオペラ・ブッファとなった「コシ・ファン・トゥッテ」。
フランス革命前夜の専制的な貴族階級に対する庶民の知恵の勝利を描く「フィガロの結婚」、笑いと背中合わせに涙と悲しみがあり、悦楽と死の恐怖が同居している「ドン・ジョヴァンニ」。
だが、「コシ」は、貴族の専横に対する怒りも、地獄の恐怖もなく、南イタリアの碧青の空の下で、愉快で少し馬鹿げた笑いがくりひろげる、悦楽と自由と遊びを伴う筋立てで、したがって他のオペラではみられぬほどの音楽は明るい透明さと簡潔な統一性を持っています。
この三つのオペラの台本作者は、北イタリア生まれのロレツォ・ダ・ポンテで、モーツァルトのおかげで音楽史上に幸運にも永遠に名を止めることになったわけです。
その、「コジ」の筋はあまりにも無道徳性のため100年以上もの間、だれひとりこのあまりにも純粋な音楽の魅惑に近づくことができづ無視されてきたのです。

話は、二組の恋人たち。男女4人は、女の貞節を信じない老独身男の哲学者と世慣れした小間使いに思うがままに操られ、コシ・ファン・トゥッテ(女がみなそうするように)振る舞い、男はみんな同じ出来事であるあることを証明するために・・・・・・そこにいる・・・・・といったぐあいで・・・・・・ 
虚構のワナにはまって右往左往する男と女、真実の感情と偽りの感情とを、比類なきモーツァルトの音楽が、他のいかなる手段によっても到底不可能なほど明確に描き分けています。
たった一つの変化音によって、喜びのただ中にふと心をよぎる疑惑の影を描き、絶望が瞬時のうちに至福に変わる人の心のふしぎさを、ちょとした音で見事に表現する音楽の魅惑が、これほど素晴らしい姿で現れるのはモーツァルトといえどもそうめったにはないと思われます。
A・アインシュタインが指摘しているように、《オペラの大家ヴェルディの最晩年の「ファルスタアッフ」は、いわば人生の彼岸から、あわれな人間どものばか騒ぎを眺めている趣があるのだが、モーツァルトは決してそうではない。彼の音楽は、人間を客観化してその姿を描写するというには、あまりにもあたたかなものでありすぎた。・・・・・・・・・・・
それは心理描写などというものではなく、人間の素朴な姿が、彼の旋律の中に無比の天啓によってとらえられている。》と述べています。まさにモーツァルトの「コシ」の音楽をこれほどまでに的確に言い当てています。
d0021969_13382855.jpg

d0021969_1338413.jpg

 私の愛聴盤です。『コシ』に限ればレーザーデスクでなく、目を閉じてベームのレコードを聴くのが至福の時です。
                                              十文字 豊/アルコーブ・U
[PR]
by npo-iezukurinokai | 2016-04-11 14:25 | 十文字 豊 | Comments(0)

音楽は・敵・超えられる

d0021969_13371105.jpg
『音楽は・敵・超えられる』と題して、指揮者・ピアニストのダニエル・バレンボイムの年明け来日公演を前にしての彼のインタビュー記事が朝日の文化欄に大きく取り上げられています。
ここでバレンボイムは、「ワーグナーに限らず、大戦中、様々な政治的メッセージをまぶされてしまった不幸な芸術は、どの国にもある。そうした思惑から解放し、純粋に新しい耳で聴きなおす動きを若い世代に導いてもらいたい」・・・・・・・・・
「多くの国がいま、過去との向き合い方に関して問題を抱えている。多くの場合、原因は(愛国)と(国粋)を混同していること。・・・・・本物の自信と誇りは、他者との比較からは決して育ちません」と述べた後、アルゼンチン生まれのユダヤ人の彼が、16年前にエドワード・サイードとともに創設した、ウエスト・ディーバン・オーケストラは、イスラエルとパレスチナの若者で構成されています。
「敵である人の隣で、同じ曲を1日練習したとしましょう。終わるころには敵という感情はなくなっている。政治には不可能なことが、音楽では可能になるのです。」・・・・・
2001年イスラエルでの公演で、アンコールにワーグナーのトリスタンとイゾルデの前奏曲を演奏して波紋を呼んだ。「私はタブーに挑んだわけでも、タブーを打ち砕きたいと思ったわけでもない。ワーグナーを過剰に避けることも、ナチスが音楽を政治利用した歴史をおのずと継承することになってしまう。私にとって大切なのは、好きな音楽に好きなように感動するという、人間として当然の権利を守り抜くことなのです」と熱く語っています。
来日公演では、シュターツカペレ・ベルリンと、大曲ブルックナーの九つのシンホニーと、モーツァルトの後期ピアノ・コンツエルトの六曲を弾き振りするプログラムです。
73歳になったバレンボイム曰く「作曲家には四つの種類の人々がいます。面白くない作曲家。面白い作曲家。偉大な作曲家。そしてモーツァルト」と語り、次のように述べています。
「モーツァルトは誰にも比すことができない。全ての音が当たり前のようにそこにある。いつ演奏しても、すべてのフレーズが、その瞬間に生まれたかのように響く。自分のいるべき場所へと常に連れ戻してくれる存在です」と名ピアニストだからこそ言える真実だと私も同感です。

私にとって以前のバレンボイムのモーツァルトは、どこか見えないところで重厚な骨格が、後に来るベートヴェンを彷彿とさせてしまう思いが湧き上がり、名演奏とは解っていたのですがあまり好きになれなかったのです。しかし、このインタビューを読んでみて、70歳を過ぎたバレンボイムが、どんなモーツァルトを聴かしてくれるのか楽しみになってきました。
十文字 豊/アルコーブ・U

[PR]
by npo-iezukurinokai | 2015-12-17 13:38 | 十文字 豊 | Comments(0)

モーツァルトの「大ミサ曲 ハ短調 K.427(417a ) 」

d0021969_13322530.jpg

モーツァルトは35年の短い生涯の中でミサ曲をいくつも書いています。ただ、それは ザルツブルク時代で、折り合いの悪かったコロレド大司教の注文で、ミサ曲は45分を超えてはならないとの制約の中での作曲でした。

しかしながら、マンハイムへの旅の後かかれたミサ曲「戴冠ミサ曲 K.317」は、楽器編成もはるかに大規模で、ミサ曲という大きな形式のシンフォニー的な統一に関してはるかに大胆になり、教会音楽家としてのモーツァルトの創造が絶頂を極める作品に接近してきているのです。


やがて、25歳のモーツァルトはザルツブルクを去って、ウィーンに定住を決意し、大司教宮廷音楽家の地位を投げ捨て、フリーの音楽家としてウィーンでの自立した音楽活動を始めるのです。

ウィーンにおいては、もはや教会と教会音楽に関係する必要はなくなりました。一人の自由な芸術家であり、ソナタ・セレナーデ・ピアノコンチェルト及びオペラを書くのです。

さらにウィーンでの生活はモーツァルトに計り知れない恩恵をもたらします。

音楽愛好家として広く知られたスヴィーテン男爵を通して、バッハ・ヘンデルの音楽を知るという貴重な経験を持ったことです。

彼は、父レオポルトに手紙で「男爵の私邸では、ヘンデルとバッハだけしか演奏されません。今、バッハのフーガを収集しています。こういう巨匠たちの作品だけが現在の私の関心の的なのです。」と伝えています。

やがてモーツァルトはウィーンにおいて、新しいミサ曲の作曲を始めます。周知のように、彼とコンスタンツェとの結婚には父親のレオポルドと姉のナンネルも反対で、モーツァルトは何とか理解してもらおうと懸命で、彼女を妻としてザルツブルクに連れて行ったならば、此のミサ曲を同地で演奏し、〈キリエ〉のソプラノ独唱パートなどを歌わせ、父に彼女の音楽家としての素晴らしさを知ってもらうねらいがありました。

しかし、この大ミサ曲はなかなかでき上らず未完成のままの形で、ザルツブルクの聖ペーター教会で、コンスタンツェがソプラノ独唱を歌って演奏されました。

音楽自体大ミサ曲の名にふさわしく、クレドの後半とアニス・デイを欠いたにもかかわらず、1時間近くに及ぶ大曲です。実に内容は、充実した対位法の技法が十分に発揮され、バッハのフーガやヘンデルの作品からの影響は対位法の技法にばかり限ったことではなく、曲の作り方や音型にも、各パートにもバロック的な手法が見られます。


音楽史上最高のミサ曲は、バッハの『ロ短調ミサ曲』とベートーヴェンの『二長調ミサ曲・ミサソレムニス』であり、その間を繋ぐ唯一の並び称される作品はこの大ミサ曲です。

あのアルフレート・アインシュタインも言っています。

是非機会をつくって聴いてみてください、モーツァルトがより近づいてくるはずです。




[PR]
by npo-iezukurinokai | 2015-10-30 13:42 | 十文字豊 | Comments(0)

建築の解体と再建て込み、実演イベントのご案内

今日のブログ当番の結設計・藤原です。今日は岩手の仲間と予定している建築のイベントの案内をさせて下さい。
岩手県の被災地から始まった木造軸組み新工法(FSB工法)の、解体及び再建て込みの、実演イベントのご案内をさせていただきます。
東日本大震災の被災地での59棟の応急仮設住宅から始まった本工法は、通常建築用の工法ながら、在来軸組工法とは全く異なった建築の造り方をしていて、建築はもとより、その仕方(行為)に大きな特徴があります。組合仮設事務所兼試作住宅、戸建て再建住宅4棟、釜石地方森林組合本設事務所、及び汎用化事例となる那須町の戸建て住宅と、変遷しつつ改善進化をしてきました。一作毎に試行錯誤や耐力試験等を繰り返し、又30分の耐火構造の認定も取得し、全解体形式では工法技術として一つの到達点に至ったと思っています。
d0021969_20483335.jpg

d0021969_20490492.jpg


これまで建った建築や構造躯体の展示は数多く有りましたが、建て上げる、又は解体、再建て込みという、建築行為としてのイベントはありません。たった9坪の建築面積、延べ床13.5坪の小さい住宅ながら、新工法の要点である、解体と再建込みの過程をご覧いただき、部材のリユースを容易にする工法が、未来にどのような可能性を感じさせるのか、考えて頂く実演イベントです。
建築が希少資源の採取や浪費あるいは廃材で、環境に負荷を増大させ、さらに二酸化炭素の排出抑制が叫ばれている今日、使用される木材が生育に60年を必要とする住宅が、30年弱で解体廃棄される現実があります。所有者に長期使用を情緒的に強いるだけで、技術者は有効な手だてを打てずに来ました。
この状況に、木造建築の部材の再使用を想定した新しい工法を、私たちなりに実践しながら開発してきました。建築を完成されたものとしてだけでなく、如何に生産され、如何に解体廃棄、あるいは再使用がなされるのかという、地球環境の資源の循環行為として捉えることで、建築が違って姿が見えます。
私たちはこのように部材の再使用を想定した工法技術を発展させ、循環型社会の建築を業界超えて広く社会に文化として根付いていくことを願っています。つまり建築をものとしてだけでなく、行為として厳しく問い、評価して頂くため、多くの方に、本工法とその行為を見て頂くよう発信するものです。
プロジェクト名:「森の貯金箱」住宅移築プロジェクト
主催:岩手県建築士事務所協会
事業遂行グループ:岩手県森林組合連合会、((株)リンデンバウム遠野+((株)ハウズ、結設計
建築建込:8月3~6日(予備日7日)
建築内覧会遠野:8月8,9日
解体行為イベント期日:8月11、(予備日12日)、
場所・岩手県遠野市青笹町中沢8-1-11(株)遠野市リンデンバウム遠野敷地内
再建込みイベント期日:8月24、(予備日25日)、
場所・盛岡市本宮5丁目4-1アイス盛岡市アリーナ・北東駐車場
建物展示:8月29、30日(盛岡住宅祭)、場所同上
尚、
このイベントとは別に、8月8日(土)、9日(日)に、つくば市で当事務所の通常の在来工法の、薪ストーブのある住宅の内覧会を行います。居間と食堂は定石の小幅板の吸音天井となっていて、今回はミニコンポを持ち込んで他の部屋の天井とで音の比較を予定しています。詳しくは結設計のホームページをご覧ください。

[PR]
by npo-iezukurinokai | 2015-07-27 20:53 | 藤原昭夫 | Comments(0)

万能性と超国民性の作曲家 モーツァルト

d0021969_13281099.jpg
前回のブログで取り上げた、アインシュタイン著『モーツァルトその人間と作品』の中の、モーツァルトの音楽の万能性と超国民的な作曲家であるという、まさにアンシュタインの見立てが正当で卓越した見解かを文章を追って見てみます。

 モーツァルトは父親である、レ―オポルトにあてて書い手紙に中で、自分は「作曲のほとんどあらゆる種類と様式を」すなわちイタリア風のものも、フランス風のものも、ドイツ風のものも、「受け入れ、模倣することができる」・・・・・しかしこのことは、われわれがここで考えている万能性を裏付けるのではなく、単に彼の超国民性、すなわち、彼がイタリアの作曲家でもなく、ドイツの作曲家でもなく、いわんやフランスの作曲家でもなく、全ての国民的境界と制約とをはるかに超越している、ほかならぬモーツァルトであるという、音楽史における彼の異常な地位を裏づけるにすぎないと言っている、さらにアンシュタインは続ける。
イタリアないしドイツ音楽が彼の音楽的本質を規定するのではなく、彼がイタリア的ないしドイツ的であるのは、外面的な形式のなかにおいてにすぎない、・・・・・彼がイタリアないしドイツ音楽の本質を規定するのである。

 声楽作曲家としてのモーツァルトと器楽作曲家としてのモーツァルトといずれが偉大であったかなどと問いかけることが無益なことであり、さまざまな分野においてそれぞれ完全なものは、比較を許さないからであると述べている。
ここでアンシュタインは、モーツァルトの万能性と、他の偉大な楽匠たちとの比較を始める。
おそらくモーツァルトに最も近いのは、ヘンデルであろう、しかしすぐに疑念が起こる。
ヘンデルのいっさいは統一的な、力強い一つの源泉から、すなわちイタリアの声楽様式、記念碑的アリアのベルカントから流れ出ているのではなかろうかと書き、彼の同時代人バッハは万能であったろうかと問いかける。
なるほどバッハは器楽と声楽の分野においてあらゆるすみずみまで、教会的なものも世俗的なものも、さらに、彼の世俗カンタータをオペラとみなすとすれば、オペラまでも手を付けずにはおかなかった。しかしこれらのいっさいも実際には一本の根から、すなわち器楽的なものから、いっそう厳密にいえば、オルガンの多声音楽から生長しているのであり、この多声音楽がバッハの声楽の主題をも規定しているのであると。
ハイドンとべートーヴェンについては、ハイドンは弦楽四重奏曲とオーケストラの分野で、ベートーヴェンは何と言ってもピアノの分野で、最も自己を語っている。二人とも声楽曲もリートも作曲しているが、その道の大家ではない。
こうしてわれわれは、未完成シンフォニ-と数百曲の完璧なリートの作曲家シューベルトに思い及ぶことになるとかく。
シューベルトはモーツァルト比較しうる唯一の作曲家とも思われる。しかし彼もオペラを書いてはいるものの劇的、舞台的な要素に関する眼識が与えられていなかった。
モーツァルトが声楽と器楽、ミサ曲およびオペラ、四重奏曲およびコンチェルトを思いのままに処理する際の夢遊病者的な確実さと優美さを考慮してみるならば、モーツァルトの万能音楽家としての独自性という現象に対する感嘆はかぎりなく増大するのであると語る。

 モーツァルトとベートーヴェンはともにピアニストとして教育され、作曲家としての楽器はピアノでした。しかしモーツァルトはまもなくピアノから全く自由に考えるようになり、カンタービレ的性格が、まず声楽にとって、ついでまた器楽にとっても、彼の法則となる。
モーツァルトは7歳か8歳で最初の旅行に連れ出され、世界の中に投げ出されたので、あらゆる音楽的影響に身をゆだね、彼が打ち負かされて、天才児が通例なるように、16歳で才能をうしなってしまうことにならなかったのは、驚嘆に値する。彼の個性、彼の抵抗力は、自分に相応しいものだけを自分のものにするに十分なほど強かったのである。
彼はいかなる国民にも所属せず・・・・・あらゆる国民に所属するのである。
彼は普遍的である。彼は国民的な音楽家でもなく、国際的な音楽家でもない。
彼は超国民的なのである。・・・・・このアンシュタインの見解に全く賛同です。
               ブラボー・・・・・モーツァルト
十文字 豊/アルコーブ・U

[PR]
by npo-iezukurinokai | 2015-06-06 13:31 | 十文字豊 | Comments(0)

『モーツァルトその人間と作品』

ブログ担当の十文字です。
私がライフワークにしているモーツァルトに関する文献等は、没後二百数十年の間に世界中で数えきれないほど出版されています。
中でも、モーツァルトが世去ったばかりのときに、エスプリとメランコリーの傑作「フィガロの結婚」に通うこと百夜では納まらず、「ドン・ジョヴァンニ」のためなら百里の道も歩いて行くという情熱を持っていた、スタンダールによって書かれた(モーツァルト)は、誰よりも早く不朽の名声を予言しました。

その後、スタンダール同様モーツァルトに熱愛していたキルケゴールが、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」をベースに、欺かれる者は欺かれないものより賢いとエルヴィラを讃え、男女の関係性を哲学的に捉えた〈誘惑者の日記〉を書きました。

そして、今から70年前アルフレード・アインシュタインが、(モーツァルトその人間と作品)を出版し、今日ではモーツァルトと結びついてあまねくアンシュタインの名も世界にとどろいています。〈物理学者のアルバート・アンシュタインは一つ違いの従兄です。〉
もちろんアンシュタインの最大の業績は、ケッヒェル番号の根本的な改訂の仕事で、その成果が全作品目録第三版となり、モーツァルトの研究と理解に全く不可欠な多大な貢献をし、さらにそれを超脱した立場での、モーツァルトの人間と作品についてのあまたの卓見です。
d0021969_11544156.jpg
今日に至るまで、モーツァルトに関するいっさいの発言はつねにアンシュタインの言説を取り上げなくてはならないほどの「モーツァルトその人間と作品」は、名著中の名著といえます。
アンシュタインは、モーツァルトについて骨の折れる努力を自分が引き受け、聴衆に気づかれないように隠して、彼らを楽しませる、ということが彼の作曲家としての叡智と言っていますが、そのことは同じに、アンシュタインの学者の叡智と美徳にも当たり、著者の学識、歴史的感覚、論証の労作等を背後に隠しつつ、鋭く、しかもユーモアを持って執筆を進める態度は芸術的で、数小節についての感激を語るときの真摯さと率直さは、必ず読者をモーツァルトに感じていた感動の《或るもの》を、いっそう混じりけのない姿で、いっそう確固たる《或るもの》がモーツァルトの本質としてあらわれてくることに気づかされ、感動するのです。


十文字 豊/アルコーブ・U


[PR]
by npo-iezukurinokai | 2015-04-14 12:03 | 十文字豊 | Comments(0)

新春の聴き始めのレコード

明けましておめでとうございます。
        本年も家づくりの会を宜しくお願い致します。

2015年最初の担当の十文字です。
例年同様年末は早めに大掃除を済ませ、なんとなく浮き浮きと酒の肴を求めて買い出しに。そのつまみで大晦日は早めに晩酌をはじめ、締めは蕎麦と決まっています。
ちょっと酔ったところでフルトヴェングラー指揮の第九シンフォニーを、何時ものCDでなくモノラルレコードの方で堪能しました。

元旦は、御屠蘇をいただき関東風の雑煮で腹を整え、新春の聴き始めのレコードをセレクトしました。
モーツァルトのセレナード第10番『グランド・パルティータ』 変ロ長調 K361
別名、13管楽器のためのセレナード 
ウィーン管楽合奏団(ウィーン・フィルハーモニーのメンバーによる)
d0021969_12284332.jpg
この曲は7楽章からなる、史上稀に見る雄大なスケールの他に並ぶもののない管楽器の頂点となる最高の作品と言えます。
普通この曲は、(13管楽器のための)と呼ばれ、オーボエ2、クラリネット2、バセット・ホルン2、ファゴット2、ホルン4で、コントラ・ファゴットの代わりに、コントラバスが使われています。
全体にわたってオーボエとクラリネットが中心で、他の管楽器との組み合わせによって、多彩な音色と美しい響きが曲のいたるところに見られる音楽の陰影の深さと言い、やはりモーツァルトにしか書けない傑作です。
映画アマデウスの中で、サリエリがこの曲の3楽章のオーボエ、クラリネット、そしてバセット・ホルンによって引き継がれてうたわれる旋律の美しさを聴いて、愕然としつつ嫉妬心にかられるところは、音楽を担当したネビル・マリナーの選曲の素晴らしさです。

高名なモーツァルトの研究者アンシュタインは、この楽章について「それは、恋する若者の高鳴る胸から、あこがれとなげきと愛とが息吹きのように喘ぎ出る、あの星空の下のロミオの情景である」と語ります。

機会が有れば是非とも聴いてみてください。

十文字 豊/アルコーブ・U

[PR]
by npo-iezukurinokai | 2015-01-05 12:29 | アルコーブ・U | Comments(0)

トンネルライブ

今週ブログ担当の、小野です。よろしくお願いします。

先月の3連休、最寄り駅である、東横線・反町駅の電車のトンネル跡地で、「駅前フェスタ」をやっていました。
横浜駅から元町・中華街駅まで走る「地下鉄みなとみらい線」が開通した際、東横線の横浜駅と反町駅も地下へと潜り、反町に残った高架とトンネルは遊歩道になりました。そのトンネルを使った初めてのお祭りです。

d0021969_112522.jpg

写真は、トンネルの中で、昔の反町駅の写真をスライド上映しているところ。
筒状に歪んだ映像に吸込まれそうな、タイムスリップしてしまいそうな迫力です。


d0021969_195825.jpg

アイリッシュミュージックのコンサートもあり、バグパイプの演奏も初めて生で聴きました。
古いトンネルで懐かしい感じの音楽、滅多に体験できない音空間でした。


小野育代/小野育代建築設計事務所 (NPO法人家づくりの会所属)
[PR]
by npo-iezukurinokai | 2014-12-01 08:00 | 小野育代建築設計事務所 | Comments(0)