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”まちに出た、建築家たち。”ーNPO法人家づくりの会

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コシ・ファン・トゥッテ

モーツァルトの最後のオペラ・ブッファとなった「コシ・ファン・トゥッテ」。
フランス革命前夜の専制的な貴族階級に対する庶民の知恵の勝利を描く「フィガロの結婚」、笑いと背中合わせに涙と悲しみがあり、悦楽と死の恐怖が同居している「ドン・ジョヴァンニ」。
だが、「コシ」は、貴族の専横に対する怒りも、地獄の恐怖もなく、南イタリアの碧青の空の下で、愉快で少し馬鹿げた笑いがくりひろげる、悦楽と自由と遊びを伴う筋立てで、したがって他のオペラではみられぬほどの音楽は明るい透明さと簡潔な統一性を持っています。
この三つのオペラの台本作者は、北イタリア生まれのロレツォ・ダ・ポンテで、モーツァルトのおかげで音楽史上に幸運にも永遠に名を止めることになったわけです。
その、「コジ」の筋はあまりにも無道徳性のため100年以上もの間、だれひとりこのあまりにも純粋な音楽の魅惑に近づくことができづ無視されてきたのです。

話は、二組の恋人たち。男女4人は、女の貞節を信じない老独身男の哲学者と世慣れした小間使いに思うがままに操られ、コシ・ファン・トゥッテ(女がみなそうするように)振る舞い、男はみんな同じ出来事であるあることを証明するために・・・・・・そこにいる・・・・・といったぐあいで・・・・・・ 
虚構のワナにはまって右往左往する男と女、真実の感情と偽りの感情とを、比類なきモーツァルトの音楽が、他のいかなる手段によっても到底不可能なほど明確に描き分けています。
たった一つの変化音によって、喜びのただ中にふと心をよぎる疑惑の影を描き、絶望が瞬時のうちに至福に変わる人の心のふしぎさを、ちょとした音で見事に表現する音楽の魅惑が、これほど素晴らしい姿で現れるのはモーツァルトといえどもそうめったにはないと思われます。
A・アインシュタインが指摘しているように、《オペラの大家ヴェルディの最晩年の「ファルスタアッフ」は、いわば人生の彼岸から、あわれな人間どものばか騒ぎを眺めている趣があるのだが、モーツァルトは決してそうではない。彼の音楽は、人間を客観化してその姿を描写するというには、あまりにもあたたかなものでありすぎた。・・・・・・・・・・・
それは心理描写などというものではなく、人間の素朴な姿が、彼の旋律の中に無比の天啓によってとらえられている。》と述べています。まさにモーツァルトの「コシ」の音楽をこれほどまでに的確に言い当てています。
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 私の愛聴盤です。『コシ』に限ればレーザーデスクでなく、目を閉じてベームのレコードを聴くのが至福の時です。
                                              十文字 豊/アルコーブ・U
by npo-iezukurinokai | 2016-04-11 14:25 | 十文字 豊 | Comments(0)
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